34歳になるまで、どうしてお金が貯まらなかったのか
無事に34歳を迎えた。
恋人がケーキを買ってお祝いしてくれたけれど、その前にひどい喧嘩をして身も心もすり減ってしまった。
その後仲直りをしたし、喧嘩の原因もたわいもないことだったので、今は元気に暮らしている。
プレゼントは・・・一度だけ何が欲しい?と聞かれたけれど、特に欲しいものがない、と言ったらそれきり。
かといって何か気の利いたものがプレゼントできる人でもないので、欲しいものができたら再びねだることにしよう。
先日、会社から天引き貯金の残高通知書が送られてきた。
現在、私の貯金は320万くらい。
そのすべてが天引き貯金なので、実質「ない」のと一緒である。
別に途中で解約したりして引き出せないことはないが、庶務の人に「天引きを引き出したいんですけど・・・」って言うのが、何だか恥ずかしい気がしている。
そういう一抹のプライドのようなもので守られた貯金である。
思えば、社会人になって10年、お給料はあるだけ使う生活だった。
使った分のお金が、今自分に何かしらの形で返ってきたかと言われると、絶対的に答えはNO。
「何となく」「とりあえず」そういう欲求のままにお金を使ってきた人生であった。
お金の使い方には、今まで生きてきた中で培われた価値観がものすごく影響していると思う。
私の人生は平凡ながらも時々ヘビーだったので、そういうのが少なからずお金の使い方に反映されているような気がしている。
その話は、気持ちの整理がついたらまた書きたい。
とにかく、お金を何となくたくさん使ってきた結果、今も大して貯金がないというのだけが現実である。
今は健康体だし仕事も順調なので、あまり悲観しているわけではないけれど、いつ大病などで働けなくなるかわからない。
そのためにも、これからは「お金に余裕のある生活」を送ろうと決めた。
そもそも、ちゃんと働いているのにお金がない理由は一つしかない。
「使いすぎ」である。
女性は色々と物要りなのはわかっているし、美容やファッションにも興味があるので、支出は必然的に多くなる。
そこを控えれば・・・というのは重々承知だが、私は質素な生活をしてまで貯金したいわけではない!
だから、どうすれば質素ではない節約生活が送れるのか考えてみた。
その結果、一つの結論にたどり着く。
『身の丈に合った暮らし』である。
思い起こせば、社会人になってからの私は
30歳を越えたらいい化粧品を。
会社でそれなりの立場にいるんだから、身に付けるものもそれなりの物を。
そういった、何か知らん価値観に縛られていた。
多分、独身だから余計に、自己投資しなければと思い込んでいたのもあるかもしれない。
独身の自己投資自体は、全く否定するつもりはなく、これからもずっと自分を可愛がっていきたいと考えている。
だけど、それにも限度があったのだと思う。
自分の収入に対して、かけるお金の額が不相応だったのだ。
外資系ブランドのコスメを揃えて使っていたら、それこそ私の手取りだと、2~3割はすぐに飛んでしまう。
そんな生活を続けていたら、貯金できないのは当たり前だった。
本当に、改めて文章にしてみると、当たり前も当たり前なのだけれど・・・
洋服にしても同じである。
実は、このことに気づくきっかけがあった。
テフロン加工のフライパンが焦げ付くようになったので、新しいものを買いに百貨店に行った時のこと。
店員さんがこう言った。
「コーティング加工されているものは、高いものでも安いものでも、寿命は大体同じなんですよ」
世の中の人は、何を今さら・・・と思うだろうか。
私は本当に、目から鱗だった。
値段が高い=持ちがいい とは限らないのか。
もちろん、お手入れで多少長持ちさせることは可能だろう。
それでも、劇的に差はないという。
ちなみに、100均の外国産のフライパンとかは、使ったことがないので今回は考えないで欲しい。
そこから、私の「物の選び方」は少しずつ変わってきた。
高いものを選ぶことで、どんなメリットがあるかを考えるようになってきたのだ。
すると、先述の化粧品や洋服等にお金をかけるメリットは、ほぼ「自己満足」だったことに気づく。
プチプラコスメでも、素敵なメイクをすることは可能だし、自分の肌に合った基礎化粧品もある。
洋服だって、自分に似合ったものなら、値段に関係なく素敵に見える。
私はパーソナルカラーやメイクレッスンを受けているので、自分に似合うものを値段に関係なく選ぶ力はあるのだ、実は。
それにも関わらず、よくわからんプライドに流されて、お金を無駄遣いしていたなんて、本当に無念。
ただ今回、原因がはっきりとわかったことで、これからは無理のない範囲で貯金ができるのではないかと思う。
以前は、身の丈に会わないものを買うために、クレジットカードで支払いを先送りにしては、毎月のお給料が残らない生活が続いていた。
そろそろ、そういう生活から足を洗わなくては。
私は、仕事では何か偉そうにしていることもあるけど、実際には34歳にしてはあまりに頼りないし、決してほめられた人間ではない。
だけど、日々進化しようとしていることは、自分で認めてあげようと思っている。